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- ちょっと話は変わるんですけど、どうして凧に「判じもん」が描かれているんでしょうか?
- 鳥居
- これはね、いまだに、わかってない。なぜ判じもんなのかは謎なんです。
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- 資料は残っていないんですか?
- 鳥居
- (パンフレットを出して)凧の歴史として、1841年に百畳の凧が揚がったことは分かっているんですが、あくまで日記帳みたいに残っているだけです。
どんな絵柄が描いてあったか、たとえば鯉があって何やらとか、揚がっている様子が絵とか版画で残っているのは、この年からなんです。
- 岩瀬
- まさに、江戸時代やなぁ。ただ、元禄のものとはだいぶズレがあるのかな。まぁ、よく歴史は分からんけど、元禄のあたりに判じ文字が流行した、というのはありますね。
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- ということは、ここの大凧も流行りを取り入れた、ってことですか?
- 岩瀬
- うーん、その辺のつながりは断言できないけども、ぼくが判じ絵というものを知ったのは、江戸の元禄あたりの流行として。
- 鳥居
- こういう本もありますよ。岩崎均史さんの『いろは判じ絵』。最近でたんちゃうかな?
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- そういえば以前、たばこと塩の博物館で判じ絵の展示会もありましたね。
- 鳥居
- あぁ、それ行きたかったんですけどね……行けませんでした。
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- それは残念。
- 岩瀬
- しかし、こういうものが流行った時期が江戸にあったんなら、それと大凧とのリンクがあるかもしれんね。
- 鳥居
- ただ、それを確実にするものがないので、何とも難しいところはあるんですけども……ちょっと待ってくださいね。(何かを探しにいく)
- 岩瀬
- たぶん、判じ絵というのは江戸もだいぶ後の方、いわゆる元禄以後だと思うねん。町人文化が出てきたあたりに、地口というか、駄洒落というか、そういうものが流行ったっていう。
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- 広告にも使われたらしいですから。
- 岩瀬
- 看板が地口や判じ絵で描かれた、っていうやつでしょう。
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- はい。今なら、雑誌にクロスワードパズルを載せるような感じでしょうかね。ちょっと違うかな。
- 鳥居
- (戻ってきて)……ええと、教育委員会が作った、この『風の神さん風おくれ 八日市大凧物語』という冊子に、八日市で判じもんが取り入れられた時期は分からん、と書いてあるんです。
ただ、あの織田信長が安土※にいたと。その安土の総見寺というところに、実は「悟り絵」というものがあるんですけど、これが判じもん的なんですね。
- ※滋賀県の東部。八日市(現在の東近江市内)とは隣どうし。
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- なんと。
- 鳥居
- ここと安土は目と鼻の先。まぁ、時代的にはかなり離れてしまうんですが、なんか関係があってもおかしくない距離やなと。江戸よりは。
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- なるほど。
- 鳥居
- ということを、この冊子で紹介してるんです。夢物語かどうか、関係あったらすごいことですけどね。まぁ、江戸と比べると、安土の方が近いですから。
- 岩瀬
- (安土は)時代的には遠いけど、距離的には近いよね。
- 鳥居
- ええ。で、江戸は時代的に近いけど、距離は遠い。
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- 人の行き来なんかも関係ありそうですし、いろいろ難しそう。
- 鳥居
- まぁ、中仙道・東海道っていうのは滋賀県を通ってますんでね。何かの形で江戸の文化が入ってきてるのは間違いないでしょうね。
- 岩瀬
- このつながり、微妙なとこやな。けど、謎の部分があって、面白いんちゃう?
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- たしかに。
- 鳥居
- さっきから「判じもん」と言ってますけど、これも独特なんですよ。
判じ「絵」でもなくて、判じ「もん」。中には「ほんまに判じもんか? 判じものやなかったか?」と言うてる方もおられるんです。
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- 辞書にも、一般的には「判じもの」で載っていますよね。
- 鳥居
- でしょ? その「判じもの」が、判じもの、判じもの……という間に「判じもん」になったんちゃうか、と。
- 岩瀬
- その「もん」というのは、漢字やないの?
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- ひらがなで書くか、たとえば文様の「文」なのか、という問題ですね。
- 鳥居
- 以前は文章の「文」、文様の「文」でした。だけど、今はちょっと外してます。
- 岩瀬
- ほぉ。
- 鳥居
- やっぱり、「もん」と「文」では感じが違ってきますから、最近は「判じもん」にしてます。
- 岩瀬
- 関西だから、余計に微妙やね(笑)。これが関東なら「文」という字はありえないけど、関西なら「なんとかもん」という言い方が出てくるから。
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- まぁ、「もん」にしておいた方が良いことがある、かもしれないですね。
- 鳥居
- はい。
2014.12.4